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2008.06.24

南海の奇岩を登る

いかにも古そうな空中写真。昭和28年に撮られたものです。

そしてそれから47年後に撮られた同じ地点の空中写真

(いずれも国土地理院の「国土変遷アーカイブ」より)

絶海の孤島、いや、島というより岩。あたり一面の水面に陸地はまったく見えないのに、高さ99mの岩が突如にょっきりたっている場所です。その岩の名は「孀婦岩」。18世紀に発見されました。当然航海中に見つけられたものですが、始めて見た人は本気で驚いたことでありましょう(発見時の様子は長谷川亮一さん「幻想諸島航海記」にある「グランパス島」の項に詳しいです)。

さて、クライマーならば誰しも考える。「ここは未登だろうか?」

答えは、少なくとも二回登られています。2003年に登った記録があり、当時の「山と渓谷」に掲載されました。また、この岩に至り帰ってくるまでの航海もなかなかおもしろく、船の雑誌にも載ったそうです。

興味深い写真満載のブログ記事→孀婦岩(そうふいわ)(ブログ「Hey! Manbow」20050321記事)

さらに、頂上でのショットという実に貴重な写真が載っている記事もあります→孀婦岩登攀サポート航海

ところで、岩に取り付いた登攀隊の一人は、有名クライマーである南裏健康さんですね。いかにもこんなことやりそうですね。なお、岩への取り付きは、ゴムのテンダーからの危険な飛び移りだったそうです。ますます南裏さんが好きそうなスタイル…

ところで、南裏さんが登頂したとき、頂上には古びたハーケン(ピトン)があったそうです。したがって、この頂上は少なくとも2回人間が到達したということになるわけです。

そういえば薩摩川内市下甑のナポレオン岩も登頂記録を読んだことがあります。クライマーの好奇心は無限大です。

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2008.06.23

クライミングin大分国体会場

先日書いた大分国体の話、実は6/6-8にリハーサル大会があって大分に行っておりました。

その報告が「チャレンジ!おおいた国体」WWWサイトに載っていました

写真のうち、白い帽子をかぶっているのがスタッフ。地元の方です。一部高校生ボランティアも混じっています(会場は高校構内で、その高校の生徒さんらが来てくれました。本当の地元)。皆一生懸命でした。

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2008.06.22

身代わりの家

あがたしが具合が悪かったり,家族が具合が悪かったりする期間が結構ありましたね,この数ヶ月.

でも最近家族全員それなりに元気で助かっております.

が,

誰もいない部屋の天井から,なんかあやしい音がしたわけですよ.ぎょっとして固まる家族を制止して,用心しながらその部屋を見に行くと,なんと天井から水漏れ.

大変なのでございました.築年数がずいぶんたってるマンションだからかなあ.

でも,もしかすると,家が身代わりになってあがたしや家族の健康を守ってくれたのかもしれませんな.

ちなみに落ちてきた水は,丁度家具も何もない,しかもフローリングの床に落ちたので実害はなし.問題は再発防止策.大家さんや管理会社と相談中です.ちなみに上の階の人の責任ではないだろうとのことでしたから,損害賠償請求云々という話にもならないでしょう.

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2008.06.21

あがたしの「玄倉川水難事故」考察記事へのリンク in Wikipedia,&Yahoo掲示板

Wikipedia(日本語版)の「玄倉川水難事故」の項目. 神奈川県の山中で1999年8月,ちょうどお盆の時期に起きた悲惨な遭難事故に関する記事です.

>事故当時の現場周辺の累計雨量は最終的には29時間で349mmが記録された。
>ただし事故現場周辺ではこの値自体はとくに珍しいものではなく、毎年一度は
>起きるというレベルだという。

・・・なんだかどこかで聞いたような文章,と思ったら,あがたし自身が書いた文章の内容とどこか似ていないでもない.もっとも,あがたし文は

> なお事故当時の累計雨量は約200mmであったが,事故後も強い雨があり,
>最終的には29時間で349mmの降雨となった.三保ダム管理の方の話によると
>最大流入量はこの年最大の値であったらしい.ただしこの値自体はとくに珍しい
>ものではなく,毎年一度は起きるというレベルであったそうだ.関東のほかの地域では
>この10年で最大の雨といった場所もあったようだが,少なくともこの事故現場では違うようだ.

だから,表現がだいぶ違います.別にコピペという訳でもないし変に切り貼りしたものでもないようです.

その他にもあがたし記事と同じ資料で書いたとしか思えない部分もあり,もしかしたらあがたしと一緒に事故現場見学に行き県の方から同じ資料をもらった人が書いたのかな,と思ったものです.

で,

その記事の最後のほうに,参考リンクがあるのですが,実はあがたしの記事「河川地形学的視点から見た玄倉川キャンプ水難事故-現地見学会報告と提言-」へのリンクが載っているではありませんか.

とはいうものの,上記の文章があがたし文をもとに書かれたのかそれとも独自の調査によるものなのかはちょっと分かりません.Wikipediaだと過去の記事書き換え史は軒並み記録されており,あがたし文へのリンクは2007年9月7日の版に初めて登場しますが,それより前から上記引用部分は存在しています. たぶん(上記のように)同じ資料をもとに同じような考察をした人がかいたのかな,と想像します.

それにしても思わぬ所からリンクされているのだな,と感心した次第.

ところで,実はこのあがたし文,もう一つ意外なところからリンクされています.
Yahoo!掲示板「田中知事に敢えて苦言を呈しましょう」(No.519の書き込みのところ).

ダムの功罪について論争が続いている掲示板で,玄倉川水難事故の主要因をダムに求めている人がいるのに対して反論する発言があり,その中で言及されています.正確には,文章のほうではなく発表時使用したスライド資料へのリンクですが.

これは元発言の主は単純に誤解していたらしく,あがたし文を読んだのかすぐに誤解をわびています.実はこの水難事故の際,「ダム放流」の話は報道にはよく出てきていましたが,それがどんな「ダム」であるかはほとんど表に出てこなかったようです.それどころか,下流の三保ダムがゲート放流をしている映像を流していた報道番組もありました(現地見学会のときビデオを見せていただきました). これじゃ,巨大ダムが非人道的な放水を行ったために助かるはずの人命が失われた・・・などというあらぬ誤解をした人が大勢でたかもしれません.

現実に放流を行ったダムは,ダムの名に値しないごく小規模な堰で,洪水調整能力はごくわずか.ゲートを閉めていたら堤体全体が崩壊するおそれがあり,やむなく放流に踏み切ったものです(それでも救助隊の要請により5分はゲートを閉めていたのですが,それが限界).

梅雨のさなかですが,これが終わると暑い夏.急な夕立の夏でもあります.皆様水の事故に遭われませんように,川遊びの基本をもう一度確認してくださいませ.

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2008.06.20

笑える兵器

輪ゴム鉄砲ならぬ輪ゴムガトリング砲
(マジックや大道芸の動画を紹介しているなまらリンクより)

木質部の仕上げ精度のよさがなんともほほえましいというか.こういうのを作る人もGeekというのでしょうか.

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2008.06.19

国体に行こう!

国民体育大会、略して国体。

いろいろ、曲り角に来ています。戦後の日本で各地に体育施設をつくり、スポーツ振興につとめてきたその業績は大いに認めた上で、しかし国・都道府県・地元自治体にとっては、過重な負担がそれに見合うベネフィットなしで押し付けられるという構図が指摘され始めるようになったわけです。 そしてまた、いくつかの競技では必ずしも国体が国内最高峰の大会ではなくなっている現状もあります。

で、ここ数年進んでいるのは「国体のスリム化」。

さらに2013年あたりからいくつかの競技は「隔年実施」になるかもしれません。正確にいうと、競技は天皇杯・皇后杯の対象となる「正式競技」とそれ以外の「公開競技」さらにそれ以外のデモンストレーション(A,B)の4種にわかれ、さらに正式競技が毎年と隔年に分かれるということです。

このあたりのことは日本体育協会(体協と略されることが多い)のWWWサイトに資料があります。

国体で正式競技となるものは、国際総合スポーツ大会で実施されているか、日本の伝統競技であるものです。夏秋季と冬季をあわせて40競技程度に抑える予定とのこと。

わが山岳競技はどうか?とりあえず国際団体(IFSC)がIOCに凖加盟したRock and Iceによる記事)わけですから多少強くは出られそうなのですが、それも他競技に対する絶対的な長所となるとは限りません(IOCによるrecognized sportsはこんなにあります。チェスやブリッジといったボードゲームもありますね)。

というわけで、今日夜は原宿近くにある日本山岳協会本部で会合。ちなみに今年の国体は大分県。「チャレンジ!おおいた国体」といいます。実は今月大分に行きました。これはリハーサル大会と呼ばれる大会があったためです。いつもどおりジャッジ業務を淡々と・・・というわけにはいかず、表彰式(国体のは実に立派だ)で喋ったり地元スタッフの質問に答えたりと忙しい日々を送りました。

それにしても、竹田市にはおいしい焼き肉屋があるものです。

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2008.06.18

怪しい断層

神戸の地震(1995年)で一役有名になった言葉が「活断層」。あれ以降、大きな地震が起こるたびに専門家のみならずマスコミをふくめて多くの人が「近くの活断層じゃない?」とさがし始めるようになりました。

さて、今回の岩手・宮城の地震(岩手・宮城内陸地震)では?

近くに「ある」のは、北上低地西縁断層帯の最南部です。名付けて「出店(でたな)断層帯」

北上低地西縁断層帯については、1980年代後半から地面をほり返して断層運動の痕跡をおいかける調査が進み、まとめレポートもでています。

活断層調査について」(岩手県)

そして、今後30年にM7.8程度の地震が発生する確率を評価すると、ほぼ0%と出されています。実は今後50年100年300年の確率もほぼゼロと出されています。
→「北上低地西縁断層帯の評価」(地震調査研究推進本部)

実はあがたしはこれらの調査の一部に加わったことがある。正確には、まだ専門過程にはいりたてのころ、当時大学院生だった渡辺満久さん(現・東洋大学)にさそわれて調査手伝いに行ったというわけです。花巻温泉にとまって毎日穴の中でスケッチ三昧。

この穴というのは「トレンチ」という呼び名で、軽トラックがまるごと入るくらいの大きな穴です。そして、側面の「壁」は鏡のようにツルツルに整形します。そこに正確に水糸を方眼状にはりめぐらし、それをもとにスケッチを行ったり、サンプル採取を行ったりします。 有機物があったら(木片など)、採取して14C年代測定を行うというわけです。

砂利ひとつひとつにもおよぶ丹念なスケッチの結果は、たとえばこれです。

で、過去の断層の活動を、断層両側の地層の食い違いや年代値から推定するわけです。「いつ」「何m」「どの向きに」動いたのか?

この花巻あたりの断層は、たぶん4500年前に動いたのが最新の活動で、平均的な活動間隔は「1万6千−2万6千年」であることが分かりました。すると問題は「つぎいつ動く?」であります。活動間隔がそう変わらないとすると、早くて1万年後。まあ当分は大丈夫でしょう、と結論づけられたわけです。

が、

今回の地震がこの断層のせいだったとすると話がいろいろおかしくなってくることになるわけです。

もっとも、これにはいろいろ考慮しなければならない点があるわけでして、たとえば上記の議論は花巻ちかくの上平(うわんたいら)断層群について行っているいっぽうで、今回の地震震源に近い出店(でたな)断層については活動時期などが不明のまま終わりました。 また、上平断層群における活動周期1.6万年〜2.6万年という推測も、上記資料の「(4)活動周期」を見れば分かるようにいろいろな仮定に基づいた推定値なわけです。 さらには、地表付近で痕跡が確認できるような断層活動と今回起こった地震のような活動が必ずしもイコールとは限らない(後者は後者で別の調べ方をすることもある)とか、もしかすると出店は関係ないんじゃないか?とかといったさらにメタな議論もあります。

ことほどさように、断層の研究は難しい。 だからこそ面白いともいえるのですが。

ところで掘った「トレンチ」は研究終了後埋め戻してしまうことが多いのですが、保存されることもあります。1995年の阪神淡路大震災にまつわる野島断層保存館が有名ですが、これは断層活動直後に掘ったというちょっと特殊な例。大規模なトレンチが保存されているのが岐阜県本巣市の根尾谷地震断層観察館(1891年に活動して濃尾地震を起こした根尾谷断層)。 マニアックには秋田県美郷町(旧千畑町)の千屋断層があるのだけど、あれはいまどうなっているだろう(あがたしは1989年に長期見学旅行「大巡検」で立ち寄った。学部の実習だったのだがなぜか当時地理学教室にいた大学院生も大挙して同行。上記渡辺満久さんもおられた。院生の会話は実に面白かった。それに、いつまでたっても全員露頭から降りてこない態度が「実に研究者」であった)、と思ったらこんなレポート(弘前大学教育学部自然地理学研究室の方による)がありました。1989年に比べて覆いは立派になったようですが、中の露頭は相変わらず見づらいどころか崩落の危険があるらしいですね。

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2008.06.17

教科書にしか載っていない事態が現実のものに

昨日書いた地震ネタ、ますます長野県西部地震(1984年9月14日、死者行方不明計29名)に似てきた。

【岩手・宮城内陸地震】雪解け水で土石流発生 進路変え旅館直撃か (産経MSNニュース、20080616)

つまり自分の家の裏山といった「近場」ではない、どこか遠くの土砂崩壊が原因となった土石流が下流の谷にあった家屋を襲うという構図です。ここがそっくり(長野県西部地震の場合は普通の土石流より水の関与が少なそうだとのことで、「岩屑(がんせつ)流」や「岩屑なだれ」と呼ばれたが)。こんなところまで似なくてもいいのに。

ただし、地形図を見るかぎりでは、駒の湯という旅館は完璧な谷底というよりは右岸の段丘状(ないし古い地滑りブロック上の正小起伏面上)のところにたっていたようです。谷底から20mくらい上かな。だから長野県西部地震のとき(濁川温泉)のように跡形もなく壊滅ということにはならなかったのかも。いやだからこそ、少々の土砂崩れにも安心だと思われていたのかもしれません。

ところで、荒砥沢ダム湖バックウォーター直上流にある大規模地辷り。なかなか壮観ですね。これは見慣れていないと恐怖をあたえる映像ですね。いや見慣れていた人でもまさかこの規模のものが目の前に出現するとは思っていなかったかもしれません。過去にこの規模のものが起こったという証拠ならいくらでもあり、その地形は見る人が見ればばっちりわかるくらいクリアに残っているのですが。それにしてもなんとも教科書的な辷り方をしています。

あの地辷りの写真、今後50年は地形学・砂防学・土質工学の教科書に載りつづけるんじゃないでしょうか。 もっとも、これに巻き込まれた人がいないとも限らないのでなんともやりきれない写真でもあります。

地震ネタはまだまだ続きます。

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2008.06.15

岩手・宮城内陸地震は1984年長野県西部地震を思い出す

4,5,6月と日記を書けるような精神状態ではなかった,というのは半分真実で(今日だって吐き気満点というところを妻の介護でなんとかなっている.妻に大感謝である),実はドラフトは結構書きためていたのですが,「あと一歩」の仕上がりがまだだったので世には出していなかったのであります.変なところで律儀なあがたしは,前の記事が出せるまでは後の記事もださないということを守っていたのですが,

ですが,

が,

そんなこといっていられない事態ですね. 

2008年6月14日日本時間午前8時43分,栗駒山東山腹直下にて,M7.2の直下型地震発生.

東京の自宅では震度2~3の揺れが1分ほど続きました.伏せっていたあがたしは「遠くで大きな揺れ.新潟のときとは揺れが違うな.もうすこし遠くかもしれない」と思いました.

薬局のTVでやっと情報.ん,奥羽山脈か.あのあたり火山だぜ.どこか崩れるよこれ・・・と思ったらいきなりヘリ映像.うわ,土砂災害.

報道を見る限り,かなりデジャヴを感じました.そう,1984年の「長野県西部地震」に対してです.

ている点
・第四紀火山の脆弱な地質の直下で起きた,浅い直下型地震
・火山周辺の典型的な地質が崩れた馬蹄形崩壊
・なんとも分厚く,そして脆弱な火山性地質.それが多数の地点で崩れ,そして今も崩れようとしている.
・おそらくは直前の雨の影響もある.捜索活動は泥とのたたかいだ.
・離れたところの崩壊土砂が谷を流れ下り,谷底にあった温泉宿を壊滅させた
・まったくの余談だが,日付(14日)が同じで,発生時刻もよく似ている(長野08時48分,今回08時43分)

異なる点
・長野の場合は王滝村にて段丘構成物質が崩壊し集落に大きなダメージを与えたが,今回はそういう集落壊滅事例は見られていない.長野のときには「半分ちぎれた住居の写真」が全国に衝撃を与えた(が,当の王滝村以外の人がどれだけ覚えているかは微妙である・・・)
 →参考:国土防災技術株式会社WWWより
・長野のは木曽御岳火山の尾根の一つが丸ごと崩壊するというとんでもない事態が起きた(あっというまに長い距離を流れ下り,前述したように温泉宿を一つ壊滅させ,キノコ狩りの人を飲み込み,下流の集落にも被害を及ぼした.ちなみにそれで十名以上が行方不明.死体も見つかっていない).今回は範囲こそ広いが緩傾斜で,まるで教科書に載っているかのような地滑りが起きている.馬蹄形の滑落崖がバッチリだ.が,傾斜が緩いためにその巨大崩壊がすぐにその土砂が下流に突進し始めるということはなかった.  (しかし今後の土砂の動きは気になるところだ.とくに荒砥沢ダムへの土砂流入は気をつけてモニタリングしないといけない)
・駒の湯を崩壊させた土砂は,超大型一発の崩壊というよりは,多数の中~大型の崩壊の集合のように空撮からは見える.それでも惨劇であることは確かだが.

長野の事例の場所は,戦後最大の土砂崩壊. 実はあがたしの卒論のフィールドであり,そして博士論文の主要アイデアを得た「約束の土地」である. 当然何度も行った.危険地域にも入った. いくたびにその非現実的な風景に圧倒されてきた.なんと広大な,なんと荒涼とした,そしてなんと哀しい歴史を秘めた眺めなのだろう. (そこには驚くほど美しい湧水がある(→これがほんの一部の写真です).まるで死者を悼む涙のようだ.というわけであがたしは勝手に「涙の滝」と命名している).

それは大部分は「自然のプロセス」なのだ.たしかに人間はそういった自然の猛威に抗して文明社会を作ってきたのだけど,しかしそれはしょせんむなしい戦いなのではないかと思わされることがしばしばあった. そういえば必死になって取り付けた(高価な)センサを,一発の土石流で完膚無きまでに破壊されたことがあったっけ. 荒涼とした河原を,ある時は泣きながら,あるいは無表情に,あるいは薄ら笑いを浮かべながら,そのセンサのせめて破片でもと探し求めて歩いていたたったひとりの男の姿は,端から見ていたら間違いなく狂人のそれと変わりなかっただろう. あがたしがもっとオカルト好きだったら,谷底の土砂の下に今も眠る十数人の魂が,ひさしぶりにおかれた文明の証である機械を呼びよせたのだと信じてしまっていたかもしれない

(ちなみに結局見つかったのは,センサの土台をとめていた土嚢の袋の切れ端だけだった.仲間と力を合わせて土嚢や機材を積み上げたその「基地」が一瞬で消え去ってしまったその気持ち,分かるだろうか?).

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その災害の記録は,王滝村が「まさか王滝に!」という分厚い冊子にまとめて出しています.もしかすると愛知用水のサイトに載っているこの壮絶な写真(昭和59年9月14日の欄をご覧ください)もそこから転載しているか,あるいは同じネガを使っているのかもしれない.これも含めて災害直後の本当に生々しい写真と,迫真の証言が満載の,いろいろな意味で心打たれる本です.
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閑話休題,もっとも,人間だってただ指をくわえて見てきただけじゃない.

1984年の災害後,さっそく各地球科学関係学会が動いた.特集号をだした学会もあった(日本地形学連合など).

詳しいことは今は省くが,はっきり言えるのは,今回の土砂災害は日本人にとって「未曾有の大災害」ではないということだ.ぼくたちは,長野県西部地震,あるいはその前(戦前)に起きたさらに規模の大きな稗田山大崩壊・磐梯山大崩壊に多くのことを学んだ. まなんだ,まなんだ・・・はず,だ. そして,日本のある種の地域は(東北の一部もそうだ),今回のような大規模地滑りでできた地形で満載であることも,実は知っているのだ.

では,僕たちは今回の事例から何を学び取れるのだろう?何を学ばねばならないのだろう? 何を反省し,何を改め,何に向かって顔を上げて歩き始めなければならないのだろう?

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長野県西部地震で40mの土砂の下に埋もれた濁川温泉の人は,その死の直前どんな光景を目にしたのだろうか.ハリウッド特撮映画でも想像できないような,現実離れした眺めだったに違いない. そして今回,崖崩れに飲み込まれた作業員や釣り人の人もそうだ.あわてて家屋から飛び出してトラックに跳ねられた人も,自分の身に起こったことが現実とは信じられなかっただろう.

さらに,駒ノ湯にいた方は,平和なはずの温泉宿の朝,いったいどのような音を聞いたのだろうか.自らの生命を脅かす音を,どのような思いで聞いたのだろうか.

自然の力の犠牲になった方々のご冥福を,心からお祈り申し上げます.

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