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2008.04.12

杉田公園の桜:満開の写真

M_20080405_

すでに一週間を過ぎてしまったのですが,先日言及した杉田公園の桜の写真です.これは見事でした.まさに桜の絨毯という感じ. 遊んでいる子供達がいました.こういう桜のもとで遊べたという贅沢は,彼ら彼女らの記憶の底に残り続けるでしょうか.

フリークライミング日本選手権の話は,また後日.明日はチャンピオンが決まります.そして視覚障碍者選手権も.

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2008.04.11

市電が杉田に来ていた日

横浜市交通局というと、いまはバスと地下鉄なのですが、昔は市電を運営していたそうです。あがたしが横浜市に来るよりちょっと前(昭和47=1972年)まで現役だったようですね。両親の世代ならきっと知っているでしょう。日活映画「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)では石原裕次郎と浅丘ルリ子が乗っていたそうですし。

さて、市電保存館というところがあるそうです。鉄道模型コレクションがものすごいのだそうです(展示はOゲージが主。イベントではHOやNも登場。)。 市バスなど数箇所で広告をみてそれなりに名前は知っておりましたが、通勤にあたっては横浜中心部は通過地点でしかない(残念なことに)ので、あまり興味は持っていませんでした。他人事だというわけで。

が、

認識不足でございました。

上記市電保存館WWWサイトにある、「昔の路線図」をご覧ください。

市電は杉田まで来ておりました

杉田に至る路線はふたつで、ひとつは近くの芦名橋からの短い路線(No.8)。もうひとつは桜木町駅からいったん本町四丁目を経由した後尾上町→吉野三丁目→八幡橋→芦名橋→杉田とくる、要するに尾上町から南は現国道16号をまんまトレースする路線(No.13)だったようです。つまり車で都心からJAMSTECに来るとき見事に通ったルートですね。

それどころか、実は市電保存館自体このルート沿いにあるのでした。これは気づかなかったなあ。場所はこのあたりです。

それにしてもこの位置(根岸駅から2kmくらいの歩き)だと、電車と徒歩だけでは通常は行きにくいですね。やはり市バスを使えということなのでしょうか(笑)。実は市バス車庫・営業所の隣ですし。

#個人的にはこの営業所の名前が「滝頭」であり、それは周辺の町名からきていることが気になります。つまり、どことなく湧水の香りがするわけです・・・ 根岸駅の北側にある湧水なら知っている(というか行ったことがある)けれど、こちら側もなにかあっても不思議ではないでしょう。

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一週間があっという間に過ぎました。業務としてはいろいろな引継を行っています(4/1からすでにかなりヘヴィな用事が入ってきていますし)。 さて、週末はフリークライミングの日本選手権・視覚障碍者クライミング日本選手権(今年が第1回)のスタッフとして緊張の二日間を過ごします。

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2008.04.10

国道16号が結ぶ旧職場と新職場

問:前職場(東大新領域創成科学研究科自然環境学専攻、東京大学柏キャンパス(千葉県柏市柏の葉))と現職場(海洋研究開発機構 地球環境フロンティア研究センター、海洋研究開発機構横浜研究所(神奈川県横浜市金沢区昭和町))の、都市交通上における共通点は?

答:国道16号線のすぐそばである。

特に現職だと16号線の車のエンジン音まで聞こえるほどの近さなのです。

というわけで車での往来にずっとこの16号線を使うという手も考えられるわけですが、実際にはあまり現実的ではない。信じられないほどの遠回りなのです。東京都心をつっ切る最短ルート(16号→1号→15号→昭和通り→6号経由)でも3時間程度はかかるというのに、こんな大回りをしたらいったい何日(大げさ)かかることでありましょうか。

地図を見てください。これだけ縮小してもルートの一部(北側、春日部のあたり)ははみ出てしまいます(上記最短ルートならちょうど収まる)。

まあでも、いつかはのんびりとやってみたいものではあります。骨の随まで国道マニアという方からすると、国道16号は

>R16は東京郊外の諸都市を結んで走る環状道路で、まあ全面的に機能本位の
>バイパスを継ぎはぎした、筆者に言わせれば必要悪に近いようなクソ面白くも
>何ともない国道である
http://www.org-chem.org/drive/R254/R254_1.htmlより引用。 これは「有機化学美術館」で有名な佐藤健太郎さんが運営するサイト中にある「国道をゆく」というコンテンツです)

という代物なのだそうで、そしていろいろな機会に16号を(それも通算するとほぼ全線)走っているあがたしからするとそれにはほとんど同意せざるを得ないのですが、それでも特定のポイントとポイントを統一した思想(?)でつなぐには面白いかもしれません。 それに敢えてそういう路線で「おもしろさ」をさがすのがあがたしといえるでしょう(嘘)。

ところで16号といえば、拝島駅近くのあの渋滞名所はいまどうなっているでしょう。各種抜け道(マイルドなものとしては、稲荷林から拝島駅前を経由して武蔵野橋南にでるルートが挙げられる)はいまでも有効なのでしょうか。

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2008.04.09

新杉田→JAMSTEC裏ルート

たかだか歩いて十数分の道に、それほどのヴァリエーションの多さは期待できないわけだけど、新杉田駅(横浜市磯子区新杉田町)→JAMSTEC横浜研究所(横浜市金沢区昭和町)へのルートは、それでも何通りかあるようです。

事務室(正確には、「研究推進室」。あがたしの正式な所属はここ)の壁に貼ってあった地図に注釈があり、それで知った道は、新杉田公園西側の道を経由してゆくルート。これに杉田公園(地図でいうとここです)を無理矢理斜めにつっきるルートも加えるのが通(何のだ)です。ここの狭いところは、歩行者・自転車ならば何も問題なく通れますし、杉田公園を経由すると正式ルートとくらべて距離がほとんど増大しなくなるのです。

ルートの一部を替えるにすぎないのですが、信号も交通量も実に少なく、さらには杉田公園の桜など植物も楽しめるという具合です。表通り(産業道路)でも歩道幅が充実していて歩きには不自由しないのですが、それとこれとは別。

ちなみに新杉田への出入りは裏通りを使うとさらに信号がひとつ減ります。こちらのルートでも、アルカード新杉田での出入り・買いものには何も問題なし。たいして距離もロスしません。ただしバスターミナルからの出口道路を横断歩道なしで横切るので、細心の注意が必要です。

杉田・新杉田からほど近い金沢区冨岡に、30年前まで(幼稚園後半〜小学校3年)住んでいました。このため、とくに京急杉田駅から山側に入ったところにはどこか懐かしい光景を見ることができるはずです。探検できる時間をとりたいものです。もっとも、とりあえず仕事がうまく流れるようになるまでは行き帰りの寄り道で我慢しましょう。

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2008.04.08

8aから9aへ

エイプリルフールから1週間が過ぎてしまいました。

以下、フリークライミング(以下、クライミング)を知らない人にはまったく分からないネタ。そして微妙にジョークとは断定できない点も含んでいるところがいとをかし:

世界のクライミングシーンの最新ニュースを配信しつづける8a.nuというサイトに載った記事です:

5月からサイト名を「9a.nu」にします

拙訳:
このサイトが始まったとき、「8a」という難易度は、すべてのクライマーがいつかは超えたいと思うレベルを意味していました。しかしいまや、世界のトップクライマーは8aでウォーミングアップする段階に達しています。このようにレベルが向上したクライミング界において、8a.nuを運営している私たちはその進歩の流れに追従する必要があるという考えをもっています。そのため、この5月1日からこのサイトの名前を「9a.nu」に変更することといたしました。中身はまったく変わりません。どうぞお楽しみに。

−−−
クライミングルートの難しさを表す方法は数種類あります。そのうちフランス・スペインなどでよく使われるのが「数字+英小文字(a,bまたはc)」の形で表す方法です(細分化のため、「数字+英小文字+”+”」の形も使われる)

そのうち、「8a」というのはクライミングがひろまり始めた15年ほど前ならば、「一生に一回は登りたい」と思わせるようなハイレベルの、ほとんどのクライマーにとって夢のような難易度でした。 が、クライミング人口が増え、屋内型トレーニング施設(人工壁)も着実にその数を増し、さらに各種トレーニング技報が洗練されてきたこともあり、いまやトップクライマーなら「8a」程度は当たり前、下手するとウォームアップ。最先端はすでに「9a」のレベルまできています。さすがに9aを登れるクライマーは世界に100人はいないでしょう。国内だとまだ5人程度でしょうか(日本でよく使われるヨセミテ式表記だと、おおよそ5.14d程度に相当)、と思ったらもう少し多いのかな。ただし、当初5.14dとされていたルートが、他の人が登ったらそうでもなかったという例もあるので、なんともいえません。

そういう流れを受けての記事ですので、実はちょっと信じてしまう自分がここにいます(笑)。まあ、8a.nuというのはクライミング界ではかなり確立されたブランドですので、そうそう変えたりはしないと思うのですが。上記リンクのコメント欄でも「ジョークかどうか分からないのだけど、もし本当ならちょっと考え直したほうが・・・8a.nuってすでにestablishedされた名前だよね」といった意見がありました(もうすぐハリー・ポッターが9aでウォームアップするから、来年は10a.nuにしなきゃね、というさらなるジョークコメントもあったけど)

(2008.5.2記:5/1にはやっぱり「8a.nu」のままでした(笑))

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2008.04.07

Natureにアーサー・クラークの訃報

小ネタ。Natureの4/3号(Vol.452, No.7187, p.546)に故アーサー・C・クラーク氏の訃報が載りました。

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PDF版
(以上、登録が必要かもしれません)


これを見ても、科学者に対する影響力という点でただ者ではなかったことがわかりますね。いまでいうと、ビジョナリに該当するのでしょうか。

発達した科学のもたらす(想像上の)未来像を描くことによって、科学者もまた影響を受けたということなのでしょう。

あがたしはどうか?というと、実は一冊も読んでいないような気がいたしますが・・・でも間接的にはなんらかの影響を自らの思考様式に受けているのかもしれません。


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2008.04.06

プロジェクト「結婚式」へのスケジューリング

昨年度末に何回かあった追い出しコンパ(追いコン)。あがたし自身追い出される立場でありますが、同時に卒業生を見送る立場でもあったわけです。

そんな追いコンの中、酒の席で出てきたのが、結婚式の話題。すでに相手が決まっているという幸せな学生がいまして、話が盛り上がったわけです。

何度も何度も自分の結婚式を挙げているなどというひとはそう多くないわけで、ほとんどの人は結婚式を自分たちで作り上げるということに関しては「経験不足」といっていいでしょう。2度や3度でも経験としては不足でしょうから。

あがたしだって一回しかやっていない(そして今後やらない)。それでも「一度はやった」者としてのアドヴァイスは不可能じゃない。というわけでまずはスケジューリングの話をしました。というのは最初の質問が「どれくらい準備期間をかけたか」だったので。

かいつまんで書くと、次のようになります:

5ヶ月前 結婚決定 プロポーズの言葉は内緒にしておく
・・・・・・この日から毎週末、各所ウェディングフェアを回りまくる。
4ヶ月前 披露宴会場(以下、ホテル)と日取り決定 ホテルと最初の打ち合わせ
・・・・・・この間、決定しなければならないことが山ほど。披露宴料理の試食も行った。結婚式場(教会)決定。
3ヶ月前 ホテル側に招待状送付者名簿提出 招待状の封筒・紙類を決定 この時点で式のシンボルカラー決定
・・・・・・この間、引き出物、花、テーブルクロス、椅子のデコレーションなど、まだまだ決めるものは多い
2ヶ月前 ホテル側から筆耕された招待状封筒類を受け取る。内容の一部は自前で印刷。 封・郵送も二人で即刻行う。
・・・・・・この間、スピーチとアトラクション決定 なぜか新郎もアトラクションをやることに。新婦のドレス試着もだいぶ行った(新郎は一着だけだった(笑))
1ヶ月前 出席者名簿と席次表をホテル側に提出 司会者と打ち合わせ
当日まで 引き出物などの細部を決定・購入・手配。教会でのレクチャーなど(教会で式を挙げる二人は、神父さんなり牧師さんなりからそれなりのレクチャーを受ける。内容は宗派によって様々)。また、配布する席次表と、教会での配布物を自前で製作 引き出物などもろもろ決定。とにかく決めるものは膨大。「式場にお任せ」というわけにはいかないことがこれでもかという量あります。そういえばスライドショーの写真選びに実家からアルバムを送ってもらったり、新郎のPowerpoint発表(!)の仕込みをしたり、もあったですね。寝不足が続きました。そうそう、転居・引越しもしましたっけ。大型物品のみ専門業者に依頼し、あとは自分の車で真夜中ひたすら往復。

もっとも、学生が考える結婚式とあがたしのそれはだいぶ違うかもしれない。あがたし夫婦はそれなりに年齢を重ねてからの結婚だったので、

・出席者の目と舌が肥えまくっている(とくに新婦友人のほぼ全員。そして新郎友人の一部も)
・その人数も多い(結局120名の披露宴となりました)

という特徴があり、必然的に披露宴会場のランクとその規模に最初から著しい制約(絶対的下限)があったからです。若い人たちの結婚ならばもうすこしフランクな場でやっても許されるでしょう。

さて、そういった式場・披露宴会場での式を挙げるのに上記の「5ヶ月」というスケジューリングはどうだったか?

結論からいうと、週末しか動けない二人が、コンサルタントの力を借りず、結婚式場と引き出物を披露宴会場に任せない(自分たちで選び交渉・決定)という内容で準備するにあたっては

ぎりぎりの短さ

でありました。

なにしろ、毎週末は見事なまでにいろいろ予定で埋まってしまいましたから(なお、ホテル側とのやりとりでは電子メイルが威力を発揮しました。これがなかったらもっとてこずっていたでしょう)。

ただ、フランク系アットホームの式にしても、やはり半年は準備期間をみたほうがよいのではないか、とは思いました。フランク系といっても準備が手抜きできるわけでは決してありませんから。

さて、その苦しいスケジュールをもつ「プロジェクト」を遂行できたのは、

・納期が限定されている。一切の延期が許されないことが最初から明白。
・意思決定者が二人に限られ、その間の意思疎通が容易 もちろん協力関係はきわめて強固
 (会計処理の透明性が高いという点も効いている)
・その二人にアドヴァイスする人はいても、最後は自分たちで決断しなければならないということが最初からよくわかっている
・そして、二人の間での「進捗度」と「めざすゴール」の共有がしっかりしている

といったプラスの要因があったことが大きな原因でしょう。要するに、結婚式とは

楽でも簡単でもないが、しかし実に筋のいいプロジェクト

であるというのが大きな感想でありました。二人が力をあわせて何かを成し遂げるということに対する、「いい練習」になるでありましょう。

というわけで、当の学生に投げかけたアドヴァイスは、

まあとにかくやってご覧よ。二人の信頼関係がしっかりしているならば、「始めてしまえばなんとかなる」ものさ。それでも6ヶ月は準備期間とったほうがいいけどね。

なのでありました。

(*注記:実際の結婚式では新郎新婦が予期していなかったアトラクションが飛び入りで入り、さらに盛り上がりました。さらに、準備にあたってはいろいろな人に便宜をはかっていただいている(「アレは助かった」といまでも夫婦の間で思い出話が出るようなものがたくさん)。それもふくめると、二人「だけ」で創りあげたというのはあまり正確ではないのですが、論旨にはあまり影響ないということでご容赦くださいませませ)

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2008.04.05

片目走行

おととい荷物を満載してJAMSTECにもっていった車を今度は柏へ回送.およそ3時間といったところ.夜のドライブ.車内BGMは「姫神」.

ところが途中浅草橋付近で変なことに気づく.視界がおかしいのです.

わかった,片方のヘッドライトが切れている.整備不良というか運行前点検不足というか.途中のSuzukiディーラーに駆け込むと,そこには工場はないという.で,近くのAutobacksを教えてもらいました.

実はヘッドライトはロービームとハイビームとでフィラメントが違うので,ロービームが切れてもハイビームにすれば両目復活となる緊急対応法がある(まぶしいので,ヘッドライト上部をガムテープで遮光してしまう)のですが,今回はおとなしくランプ交換を依頼. なお,自分で交換される場合はバルブには絶対素手で触らないように・・・というのは,自分でランプ交換しようという方はすでにご存知ですね.

TXではない柏の葉行きは,なんだか新鮮であります.

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2008.04.04

「カオスの父」死す

私はこの文章を読んで,後頭部をガツンと一撃された感じがし,髪の毛が逆立った.彼は知っていた!二四年も前に,彼は知っていたのだ!(中略)たった12ページで,ローレンツは非線形力学のいくつかの主要なアイデアを予言した.それも,非線形力学がまだ流行になる前に,まだ他の誰もがカオスのような新しい気まぐれの現象が存在することを知らなかった時期に. (I.スチュアート,須田不二夫・三村和男訳「カオス的世界像:神はサイコロ遊びをするか?」白楊社,1992年,162ページ.Stewart, I., 1989: Does god play dice? : The mathematics of chaos. Penguin books. 強調部は,原邦訳文では傍点)

知らなかったのだけど,4月に「カオス理論の父」エドワード・N・ローレンツ氏が死去していました.享年90歳.大往生といえる年でしょうか.まさに「お疲れ様でした」と申し上げたい気分です.

長いその生涯は彼の二つ名のごとく予測困難なものであったでしょうか.とりあえずその間の国際社会はまさに予想のたてがたいものでありましたが.

さて,訃報はMITのレポートに載っていたのに気づいたものです→PDFはここ(実はHTML版なら死去直後に出ていたようです)

1983年Crafoord賞受賞.これはノーベル賞が直接扱っていない科学分野のためのノーベル賞レベルの賞です.1991年京都賞基礎科学部門受賞.

彼の歴史的論文「Deterministic nonperiodic flow」(1963年)は,以前生産研にいたとき自主ゼミで発表したことがあります(→配布資料).いま見るとまだまだあがたしの詰めは甘いけれど,高校の頃知って夢中になったカオス理論を創始した人への「愛」はたっぷりと甘甘に詰めこんだつもり.

ところで上記MITレポートには,グローバルな土壌水分観測&マッピングについての記事もある.これについてはまた後日.

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2008.04.03

車出勤と「電車」

一昨日・昨日の通勤で,京浜東北線横浜→関内間の強烈な混雑(ただしこの区間のみで終わってしまう)を知ってしまったあがたし.今日は車出勤です.引越し業務に必要なので,たまに柏→家(都内)→横浜JAMSTECという車回送を行なう予定.

家の近くには「一泊1500円」というコイン駐車場があり,そこを利用.実はすぐ向かいは一泊2400円なんですけど,何か質的に差があるのでしょうか.前者はかなり入れにくく狭いからかな.それでもここまであからさまな値段差がつくとはちょっと思えない.

それはともかく,運転中はMD(古い)をずっと聞き続けるあがたし.今日はひさしぶりに岡村孝子なんぞを聞いてみる.彼女のアルバムの中で「リベルテ」「ソレイユ」「オー・ド・シエル」が特にツボにはまっています(実はその後のアルバムは「悪くはないがハマるほどではない」).あがたし日記に既出だと思うけれど,「電車」という曲が,何度聞いてもすばらしいですな.

恋人を失うことを覚悟で選んだいまの仕事.しかしその内容は順風満帆とはいいがたい.満員電車の窓に向かってため息をつくと,なおさら落ち込んでしまう.職場では明るく振舞うけれど,その実内面では最初の頃の志を忘れて弱気になってしまう自分.だめだめ,これじゃ駄目.これじゃいけない.ああ,こんな私をどうか叱ってほしい-えと,ここで「誰に叱ってほしいの?」なんて野暮なことは聞かないように.でもこれで終わらないのが(この当時の)岡村孝子クォリティ.曲の最後で,主人公はまた顔をあげて歩き始めます.

「表現しすぎない」抑制された歌詞は,しかし(いや,それだからこそ)豊かなイマジネーションを聞く者に呼び起こす.そしてそれは美しい旋律に淡々と乗っている.あがたしのいうボーカルの名曲とは,つまりはこういう曲です.

でも,いまこれを聞いているのは自動車の中なんだよなあ,なんかシチュエーションが違うような,と東神奈川駅近くで京浜東北線と並走しながら思っていたものでした.

岡村孝子では,ほかに「長い時間(たび)」がツボ.これは上記の「名曲」とは違う意味で,かなり個人的なもの.個人の感性にビビっとくる歌ですので,ひとによって激しく意見は分かれるでありましょう.少なくともあがたしには満点でありました.

家からJAMSTEC横浜は1~1.5時間といったところでしょうか.朝もあまり渋滞はありませんでした.

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2008.04.02

雲の向こう,虹の彼方

野原に寝転がり流れる雲を見上げながら,「あの雲はどこで生まれてどこに行くんだろう」と思った少年たち.

虹の根元には宝物が埋まっていることを信じて疑わず,どこまでも空を見上げて駆けていった少女たち.

こういう子供たちが,その心をわすれず,あるいは人生の途中で思い出して,大人になると,

あがたしの新職場で研究活動にいそしむようになります.

そう,地球環境フロンティア研究センターは,そんなところ.

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ところで昨日,新人歓迎会があって,そこで聞いた面白いこと.ある種の観測センサについて,その制御プログラムはC++/STLを用いるのだそうな! C++だけならともかく,STLと来ましたか・・・このセンサを応用した研究を行っている人がいて,周囲にSTLを書ける人がおらず苦労していたとのこと.そこへあがたしが飛んで火に入る夏の虫.初日から面白い話し相手ができました.

それ以外にも4/1からさっそく仕事満載でありました.ある意味即戦力を期待されて入ったのですからそれも当然でありましょう.

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2008.04.01

フロンティアからフロンティアへ

うそのように晴れた朝.

・・・いや,うそであっちゃ困るんだけど,日付が日付ですからねえ.

というわけで,快晴の日に初出勤.新しい職場は「海洋研究開発機構 地球環境フロンティア研究センター 研究推進室」というところです.

長いって?しかし今までも,
東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻自然環境形成学分野

という充分長い名前のところでございました.

それはそうと,前職場である新領域創成科学研究科の英名はGraduate School of Frontier Sciencesです.そうです,フロンティア・サイエンス.つまりあがたしは

フロンティアからフロンティア

に移ったというわけなのです.

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