2008.06.19

国体に行こう!

国民体育大会、略して国体。

いろいろ、曲り角に来ています。戦後の日本で各地に体育施設をつくり、スポーツ振興につとめてきたその業績は大いに認めた上で、しかし国・都道府県・地元自治体にとっては、過重な負担がそれに見合うベネフィットなしで押し付けられるという構図が指摘され始めるようになったわけです。 そしてまた、いくつかの競技では必ずしも国体が国内最高峰の大会ではなくなっている現状もあります。

で、ここ数年進んでいるのは「国体のスリム化」。

さらに2013年あたりからいくつかの競技は「隔年実施」になるかもしれません。正確にいうと、競技は天皇杯・皇后杯の対象となる「正式競技」とそれ以外の「公開競技」さらにそれ以外のデモンストレーション(A,B)の4種にわかれ、さらに正式競技が毎年と隔年に分かれるということです。

このあたりのことは日本体育協会(体協と略されることが多い)のWWWサイトに資料があります。

国体で正式競技となるものは、国際総合スポーツ大会で実施されているか、日本の伝統競技であるものです。夏秋季と冬季をあわせて40競技程度に抑える予定とのこと。

わが山岳競技はどうか?とりあえず国際団体(IFSC)がIOCに凖加盟したRock and Iceによる記事)わけですから多少強くは出られそうなのですが、それも他競技に対する絶対的な長所となるとは限りません(IOCによるrecognized sportsはこんなにあります。チェスやブリッジといったボードゲームもありますね)。

というわけで、今日夜は原宿近くにある日本山岳協会本部で会合。ちなみに今年の国体は大分県。「チャレンジ!おおいた国体」といいます。実は今月大分に行きました。これはリハーサル大会と呼ばれる大会があったためです。いつもどおりジャッジ業務を淡々と・・・というわけにはいかず、表彰式(国体のは実に立派だ)で喋ったり地元スタッフの質問に答えたりと忙しい日々を送りました。

それにしても、竹田市にはおいしい焼き肉屋があるものです。

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2008.06.18

怪しい断層

神戸の地震(1995年)で一役有名になった言葉が「活断層」。あれ以降、大きな地震が起こるたびに専門家のみならずマスコミをふくめて多くの人が「近くの活断層じゃない?」とさがし始めるようになりました。

さて、今回の岩手・宮城の地震(岩手・宮城内陸地震)では?

近くに「ある」のは、北上低地西縁断層帯の最南部です。名付けて「出店(でたな)断層帯」

北上低地西縁断層帯については、1980年代後半から地面をほり返して断層運動の痕跡をおいかける調査が進み、まとめレポートもでています。

活断層調査について」(岩手県)

そして、今後30年にM7.8程度の地震が発生する確率を評価すると、ほぼ0%と出されています。実は今後50年100年300年の確率もほぼゼロと出されています。
→「北上低地西縁断層帯の評価」(地震調査研究推進本部)

実はあがたしはこれらの調査の一部に加わったことがある。正確には、まだ専門過程にはいりたてのころ、当時大学院生だった渡辺満久さん(現・東洋大学)にさそわれて調査手伝いに行ったというわけです。花巻温泉にとまって毎日穴の中でスケッチ三昧。

この穴というのは「トレンチ」という呼び名で、軽トラックがまるごと入るくらいの大きな穴です。そして、側面の「壁」は鏡のようにツルツルに整形します。そこに正確に水糸を方眼状にはりめぐらし、それをもとにスケッチを行ったり、サンプル採取を行ったりします。 有機物があったら(木片など)、採取して14C年代測定を行うというわけです。

砂利ひとつひとつにもおよぶ丹念なスケッチの結果は、たとえばこれです。

で、過去の断層の活動を、断層両側の地層の食い違いや年代値から推定するわけです。「いつ」「何m」「どの向きに」動いたのか?

この花巻あたりの断層は、たぶん4500年前に動いたのが最新の活動で、平均的な活動間隔は「1万6千−2万6千年」であることが分かりました。すると問題は「つぎいつ動く?」であります。活動間隔がそう変わらないとすると、早くて1万年後。まあ当分は大丈夫でしょう、と結論づけられたわけです。

が、

今回の地震がこの断層のせいだったとすると話がいろいろおかしくなってくることになるわけです。

もっとも、これにはいろいろ考慮しなければならない点があるわけでして、たとえば上記の議論は花巻ちかくの上平(うわんたいら)断層群について行っているいっぽうで、今回の地震震源に近い出店(でたな)断層については活動時期などが不明のまま終わりました。 また、上平断層群における活動周期1.6万年〜2.6万年という推測も、上記資料の「(4)活動周期」を見れば分かるようにいろいろな仮定に基づいた推定値なわけです。 さらには、地表付近で痕跡が確認できるような断層活動と今回起こった地震のような活動が必ずしもイコールとは限らない(後者は後者で別の調べ方をすることもある)とか、もしかすると出店は関係ないんじゃないか?とかといったさらにメタな議論もあります。

ことほどさように、断層の研究は難しい。 だからこそ面白いともいえるのですが。

ところで掘った「トレンチ」は研究終了後埋め戻してしまうことが多いのですが、保存されることもあります。1995年の阪神淡路大震災にまつわる野島断層保存館が有名ですが、これは断層活動直後に掘ったというちょっと特殊な例。大規模なトレンチが保存されているのが岐阜県本巣市の根尾谷地震断層観察館(1891年に活動して濃尾地震を起こした根尾谷断層)。 マニアックには秋田県美郷町(旧千畑町)の千屋断層があるのだけど、あれはいまどうなっているだろう(あがたしは1989年に長期見学旅行「大巡検」で立ち寄った。学部の実習だったのだがなぜか当時地理学教室にいた大学院生も大挙して同行。上記渡辺満久さんもおられた。院生の会話は実に面白かった。それに、いつまでたっても全員露頭から降りてこない態度が「実に研究者」であった)、と思ったらこんなレポート(弘前大学教育学部自然地理学研究室の方による)がありました。1989年に比べて覆いは立派になったようですが、中の露頭は相変わらず見づらいどころか崩落の危険があるらしいですね。

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2008.06.17

教科書にしか載っていない事態が現実のものに

昨日書いた地震ネタ、ますます長野県西部地震(1984年9月14日、死者行方不明計29名)に似てきた。

【岩手・宮城内陸地震】雪解け水で土石流発生 進路変え旅館直撃か (産経MSNニュース、20080616)

つまり自分の家の裏山といった「近場」ではない、どこか遠くの土砂崩壊が原因となった土石流が下流の谷にあった家屋を襲うという構図です。ここがそっくり(長野県西部地震の場合は普通の土石流より水の関与が少なそうだとのことで、「岩屑(がんせつ)流」や「岩屑なだれ」と呼ばれたが)。こんなところまで似なくてもいいのに。

ただし、地形図を見るかぎりでは、駒の湯という旅館は完璧な谷底というよりは右岸の段丘状(ないし古い地滑りブロック上の正小起伏面上)のところにたっていたようです。谷底から20mくらい上かな。だから長野県西部地震のとき(濁川温泉)のように跡形もなく壊滅ということにはならなかったのかも。いやだからこそ、少々の土砂崩れにも安心だと思われていたのかもしれません。

ところで、荒砥沢ダム湖バックウォーター直上流にある大規模地辷り。なかなか壮観ですね。これは見慣れていないと恐怖をあたえる映像ですね。いや見慣れていた人でもまさかこの規模のものが目の前に出現するとは思っていなかったかもしれません。過去にこの規模のものが起こったという証拠ならいくらでもあり、その地形は見る人が見ればばっちりわかるくらいクリアに残っているのですが。それにしてもなんとも教科書的な辷り方をしています。

あの地辷りの写真、今後50年は地形学・砂防学・土質工学の教科書に載りつづけるんじゃないでしょうか。 もっとも、これに巻き込まれた人がいないとも限らないのでなんともやりきれない写真でもあります。

地震ネタはまだまだ続きます。

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2008.06.15

岩手・宮城内陸地震は1984年長野県西部地震を思い出す

4,5,6月と日記を書けるような精神状態ではなかった,というのは半分真実で(今日だって吐き気満点というところを妻の介護でなんとかなっている.妻に大感謝である),実はドラフトは結構書きためていたのですが,「あと一歩」の仕上がりがまだだったので世には出していなかったのであります.変なところで律儀なあがたしは,前の記事が出せるまでは後の記事もださないということを守っていたのですが,

ですが,

が,

そんなこといっていられない事態ですね. 

2008年6月14日日本時間午前8時43分,栗駒山東山腹直下にて,M7.2の直下型地震発生.

東京の自宅では震度2~3の揺れが1分ほど続きました.伏せっていたあがたしは「遠くで大きな揺れ.新潟のときとは揺れが違うな.もうすこし遠くかもしれない」と思いました.

薬局のTVでやっと情報.ん,奥羽山脈か.あのあたり火山だぜ.どこか崩れるよこれ・・・と思ったらいきなりヘリ映像.うわ,土砂災害.

報道を見る限り,かなりデジャヴを感じました.そう,1984年の「長野県西部地震」に対してです.

ている点
・第四紀火山の脆弱な地質の直下で起きた,浅い直下型地震
・火山周辺の典型的な地質が崩れた馬蹄形崩壊
・なんとも分厚く,そして脆弱な火山性地質.それが多数の地点で崩れ,そして今も崩れようとしている.
・おそらくは直前の雨の影響もある.捜索活動は泥とのたたかいだ.
・離れたところの崩壊土砂が谷を流れ下り,谷底にあった温泉宿を壊滅させた
・まったくの余談だが,日付(14日)が同じで,発生時刻もよく似ている(長野08時48分,今回08時43分)

異なる点
・長野の場合は王滝村にて段丘構成物質が崩壊し集落に大きなダメージを与えたが,今回はそういう集落壊滅事例は見られていない.長野のときには「半分ちぎれた住居の写真」が全国に衝撃を与えた(が,当の王滝村以外の人がどれだけ覚えているかは微妙である・・・)
 →参考:国土防災技術株式会社WWWより
・長野のは木曽御岳火山の尾根の一つが丸ごと崩壊するというとんでもない事態が起きた(あっというまに長い距離を流れ下り,前述したように温泉宿を一つ壊滅させ,キノコ狩りの人を飲み込み,下流の集落にも被害を及ぼした.ちなみにそれで十名以上が行方不明.死体も見つかっていない).今回は範囲こそ広いが緩傾斜で,まるで教科書に載っているかのような地滑りが起きている.馬蹄形の滑落崖がバッチリだ.が,傾斜が緩いためにその巨大崩壊がすぐにその土砂が下流に突進し始めるということはなかった.  (しかし今後の土砂の動きは気になるところだ.とくに荒砥沢ダムへの土砂流入は気をつけてモニタリングしないといけない)
・駒の湯を崩壊させた土砂は,超大型一発の崩壊というよりは,多数の中~大型の崩壊の集合のように空撮からは見える.それでも惨劇であることは確かだが.

長野の事例の場所は,戦後最大の土砂崩壊. 実はあがたしの卒論のフィールドであり,そして博士論文の主要アイデアを得た「約束の土地」である. 当然何度も行った.危険地域にも入った. いくたびにその非現実的な風景に圧倒されてきた.なんと広大な,なんと荒涼とした,そしてなんと哀しい歴史を秘めた眺めなのだろう. (そこには驚くほど美しい湧水がある(→これがほんの一部の写真です).まるで死者を悼む涙のようだ.というわけであがたしは勝手に「涙の滝」と命名している).

それは大部分は「自然のプロセス」なのだ.たしかに人間はそういった自然の猛威に抗して文明社会を作ってきたのだけど,しかしそれはしょせんむなしい戦いなのではないかと思わされることがしばしばあった. そういえば必死になって取り付けた(高価な)センサを,一発の土石流で完膚無きまでに破壊されたことがあったっけ. 荒涼とした河原を,ある時は泣きながら,あるいは無表情に,あるいは薄ら笑いを浮かべながら,そのセンサのせめて破片でもと探し求めて歩いていたたったひとりの男の姿は,端から見ていたら間違いなく狂人のそれと変わりなかっただろう. あがたしがもっとオカルト好きだったら,谷底の土砂の下に今も眠る十数人の魂が,ひさしぶりにおかれた文明の証である機械を呼びよせたのだと信じてしまっていたかもしれない

(ちなみに結局見つかったのは,センサの土台をとめていた土嚢の袋の切れ端だけだった.仲間と力を合わせて土嚢や機材を積み上げたその「基地」が一瞬で消え去ってしまったその気持ち,分かるだろうか?).

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その災害の記録は,王滝村が「まさか王滝に!」という分厚い冊子にまとめて出しています.もしかすると愛知用水のサイトに載っているこの壮絶な写真(昭和59年9月14日の欄をご覧ください)もそこから転載しているか,あるいは同じネガを使っているのかもしれない.これも含めて災害直後の本当に生々しい写真と,迫真の証言が満載の,いろいろな意味で心打たれる本です.
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閑話休題,もっとも,人間だってただ指をくわえて見てきただけじゃない.

1984年の災害後,さっそく各地球科学関係学会が動いた.特集号をだした学会もあった(日本地形学連合など).

詳しいことは今は省くが,はっきり言えるのは,今回の土砂災害は日本人にとって「未曾有の大災害」ではないということだ.ぼくたちは,長野県西部地震,あるいはその前(戦前)に起きたさらに規模の大きな稗田山大崩壊・磐梯山大崩壊に多くのことを学んだ. まなんだ,まなんだ・・・はず,だ. そして,日本のある種の地域は(東北の一部もそうだ),今回のような大規模地滑りでできた地形で満載であることも,実は知っているのだ.

では,僕たちは今回の事例から何を学び取れるのだろう?何を学ばねばならないのだろう? 何を反省し,何を改め,何に向かって顔を上げて歩き始めなければならないのだろう?

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長野県西部地震で40mの土砂の下に埋もれた濁川温泉の人は,その死の直前どんな光景を目にしたのだろうか.ハリウッド特撮映画でも想像できないような,現実離れした眺めだったに違いない. そして今回,崖崩れに飲み込まれた作業員や釣り人の人もそうだ.あわてて家屋から飛び出してトラックに跳ねられた人も,自分の身に起こったことが現実とは信じられなかっただろう.

さらに,駒ノ湯にいた方は,平和なはずの温泉宿の朝,いったいどのような音を聞いたのだろうか.自らの生命を脅かす音を,どのような思いで聞いたのだろうか.

自然の力の犠牲になった方々のご冥福を,心からお祈り申し上げます.

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2008.05.16

逝く人去る人


東大スキー山岳部の新井 裕己君が亡くなりました.

いろいろと精神的に負担になることが多かったこの3~4月だったけど,これはその極めつけの第一号.

え,?

第二号があるのかって?それはいまのところ内緒.

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2008.04.12

杉田公園の桜:満開の写真

M_20080405_

すでに一週間を過ぎてしまったのですが,先日言及した杉田公園の桜の写真です.これは見事でした.まさに桜の絨毯という感じ. 遊んでいる子供達がいました.こういう桜のもとで遊べたという贅沢は,彼ら彼女らの記憶の底に残り続けるでしょうか.

フリークライミング日本選手権の話は,また後日.明日はチャンピオンが決まります.そして視覚障碍者選手権も.

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2008.04.11

市電が杉田に来ていた日

横浜市交通局というと、いまはバスと地下鉄なのですが、昔は市電を運営していたそうです。あがたしが横浜市に来るよりちょっと前(昭和47=1972年)まで現役だったようですね。両親の世代ならきっと知っているでしょう。日活映画「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)では石原裕次郎と浅丘ルリ子が乗っていたそうですし。

さて、市電保存館というところがあるそうです。鉄道模型コレクションがものすごいのだそうです(展示はOゲージが主。イベントではHOやNも登場。)。 市バスなど数箇所で広告をみてそれなりに名前は知っておりましたが、通勤にあたっては横浜中心部は通過地点でしかない(残念なことに)ので、あまり興味は持っていませんでした。他人事だというわけで。

が、

認識不足でございました。

上記市電保存館WWWサイトにある、「昔の路線図」をご覧ください。

市電は杉田まで来ておりました

杉田に至る路線はふたつで、ひとつは近くの芦名橋からの短い路線(No.8)。もうひとつは桜木町駅からいったん本町四丁目を経由した後尾上町→吉野三丁目→八幡橋→芦名橋→杉田とくる、要するに尾上町から南は現国道16号をまんまトレースする路線(No.13)だったようです。つまり車で都心からJAMSTECに来るとき見事に通ったルートですね。

それどころか、実は市電保存館自体このルート沿いにあるのでした。これは気づかなかったなあ。場所はこのあたりです。

それにしてもこの位置(根岸駅から2kmくらいの歩き)だと、電車と徒歩だけでは通常は行きにくいですね。やはり市バスを使えということなのでしょうか(笑)。実は市バス車庫・営業所の隣ですし。

#個人的にはこの営業所の名前が「滝頭」であり、それは周辺の町名からきていることが気になります。つまり、どことなく湧水の香りがするわけです・・・ 根岸駅の北側にある湧水なら知っている(というか行ったことがある)けれど、こちら側もなにかあっても不思議ではないでしょう。

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一週間があっという間に過ぎました。業務としてはいろいろな引継を行っています(4/1からすでにかなりヘヴィな用事が入ってきていますし)。 さて、週末はフリークライミングの日本選手権・視覚障碍者クライミング日本選手権(今年が第1回)のスタッフとして緊張の二日間を過ごします。

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2008.04.10

国道16号が結ぶ旧職場と新職場

問:前職場(東大新領域創成科学研究科自然環境学専攻、東京大学柏キャンパス(千葉県柏市柏の葉))と現職場(海洋研究開発機構 地球環境フロンティア研究センター、海洋研究開発機構横浜研究所(神奈川県横浜市金沢区昭和町))の、都市交通上における共通点は?

答:国道16号線のすぐそばである。

特に現職だと16号線の車のエンジン音まで聞こえるほどの近さなのです。

というわけで車での往来にずっとこの16号線を使うという手も考えられるわけですが、実際にはあまり現実的ではない。信じられないほどの遠回りなのです。東京都心をつっ切る最短ルート(16号→1号→15号→昭和通り→6号経由)でも3時間程度はかかるというのに、こんな大回りをしたらいったい何日(大げさ)かかることでありましょうか。

地図を見てください。これだけ縮小してもルートの一部(北側、春日部のあたり)ははみ出てしまいます(上記最短ルートならちょうど収まる)。

まあでも、いつかはのんびりとやってみたいものではあります。骨の随まで国道マニアという方からすると、国道16号は

>R16は東京郊外の諸都市を結んで走る環状道路で、まあ全面的に機能本位の
>バイパスを継ぎはぎした、筆者に言わせれば必要悪に近いようなクソ面白くも
>何ともない国道である
http://www.org-chem.org/drive/R254/R254_1.htmlより引用。 これは「有機化学美術館」で有名な佐藤健太郎さんが運営するサイト中にある「国道をゆく」というコンテンツです)

という代物なのだそうで、そしていろいろな機会に16号を(それも通算するとほぼ全線)走っているあがたしからするとそれにはほとんど同意せざるを得ないのですが、それでも特定のポイントとポイントを統一した思想(?)でつなぐには面白いかもしれません。 それに敢えてそういう路線で「おもしろさ」をさがすのがあがたしといえるでしょう(嘘)。

ところで16号といえば、拝島駅近くのあの渋滞名所はいまどうなっているでしょう。各種抜け道(マイルドなものとしては、稲荷林から拝島駅前を経由して武蔵野橋南にでるルートが挙げられる)はいまでも有効なのでしょうか。

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2008.04.09

新杉田→JAMSTEC裏ルート

たかだか歩いて十数分の道に、それほどのヴァリエーションの多さは期待できないわけだけど、新杉田駅(横浜市磯子区新杉田町)→JAMSTEC横浜研究所(横浜市金沢区昭和町)へのルートは、それでも何通りかあるようです。

事務室(正確には、「研究推進室」。あがたしの正式な所属はここ)の壁に貼ってあった地図に注釈があり、それで知った道は、新杉田公園西側の道を経由してゆくルート。これに杉田公園(地図でいうとここです)を無理矢理斜めにつっきるルートも加えるのが通(何のだ)です。ここの狭いところは、歩行者・自転車ならば何も問題なく通れますし、杉田公園を経由すると正式ルートとくらべて距離がほとんど増大しなくなるのです。

ルートの一部を替えるにすぎないのですが、信号も交通量も実に少なく、さらには杉田公園の桜など植物も楽しめるという具合です。表通り(産業道路)でも歩道幅が充実していて歩きには不自由しないのですが、それとこれとは別。

ちなみに新杉田への出入りは裏通りを使うとさらに信号がひとつ減ります。こちらのルートでも、アルカード新杉田での出入り・買いものには何も問題なし。たいして距離もロスしません。ただしバスターミナルからの出口道路を横断歩道なしで横切るので、細心の注意が必要です。

杉田・新杉田からほど近い金沢区冨岡に、30年前まで(幼稚園後半〜小学校3年)住んでいました。このため、とくに京急杉田駅から山側に入ったところにはどこか懐かしい光景を見ることができるはずです。探検できる時間をとりたいものです。もっとも、とりあえず仕事がうまく流れるようになるまでは行き帰りの寄り道で我慢しましょう。

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2008.04.08

8aから9aへ

エイプリルフールから1週間が過ぎてしまいました。

以下、フリークライミング(以下、クライミング)を知らない人にはまったく分からないネタ。そして微妙にジョークとは断定できない点も含んでいるところがいとをかし:

世界のクライミングシーンの最新ニュースを配信しつづける8a.nuというサイトに載った記事です:

5月からサイト名を「9a.nu」にします

拙訳:
このサイトが始まったとき、「8a」という難易度は、すべてのクライマーがいつかは超えたいと思うレベルを意味していました。しかしいまや、世界のトップクライマーは8aでウォーミングアップする段階に達しています。このようにレベルが向上したクライミング界において、8a.nuを運営している私たちはその進歩の流れに追従する必要があるという考えをもっています。そのため、この5月1日からこのサイトの名前を「9a.nu」に変更することといたしました。中身はまったく変わりません。どうぞお楽しみに。

−−−
クライミングルートの難しさを表す方法は数種類あります。そのうちフランス・スペインなどでよく使われるのが「数字+英小文字(a,bまたはc)」の形で表す方法です(細分化のため、「数字+英小文字+”+”」の形も使われる)

そのうち、「8a」というのはクライミングがひろまり始めた15年ほど前ならば、「一生に一回は登りたい」と思わせるようなハイレベルの、ほとんどのクライマーにとって夢のような難易度でした。 が、クライミング人口が増え、屋内型トレーニング施設(人工壁)も着実にその数を増し、さらに各種トレーニング技報が洗練されてきたこともあり、いまやトップクライマーなら「8a」程度は当たり前、下手するとウォームアップ。最先端はすでに「9a」のレベルまできています。さすがに9aを登れるクライマーは世界に100人はいないでしょう。国内だとまだ5人程度でしょうか(日本でよく使われるヨセミテ式表記だと、おおよそ5.14d程度に相当)、と思ったらもう少し多いのかな。ただし、当初5.14dとされていたルートが、他の人が登ったらそうでもなかったという例もあるので、なんともいえません。

そういう流れを受けての記事ですので、実はちょっと信じてしまう自分がここにいます(笑)。まあ、8a.nuというのはクライミング界ではかなり確立されたブランドですので、そうそう変えたりはしないと思うのですが。上記リンクのコメント欄でも「ジョークかどうか分からないのだけど、もし本当ならちょっと考え直したほうが・・・8a.nuってすでにestablishedされた名前だよね」といった意見がありました(もうすぐハリー・ポッターが9aでウォームアップするから、来年は10a.nuにしなきゃね、というさらなるジョークコメントもあったけど)

(2008.5.2記:5/1にはやっぱり「8a.nu」のままでした(笑))

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