2008.09.25

山手111番館など

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M_pict1543_yamate111イギリス館の近くにあるのが,この3連アーチが印象的な山手111番館

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M_pict1535_yamate111実にいい感じの内装ではありませんか.


M_pict1537_yamate111diningここのダイニングはうみねこのなく頃にの舞台の候補と思っていたのですが,実際には違いました(後述しますが,別の所でした).でもなかなかここもいい雰囲気です.

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入ると吹き抜け.二階は周回する廊下で,その手すりが瀟洒です(ただし二階は一般立ち入り禁止).梁の組み合わせによる模様が見事です.また,写真のように土休日にはミニコンサートが開かれることがあります(洋館によっては,ウェディングパーティすら可能です).

ここから,西へ西へと山手本通り(日本の道百選)を歩きます.

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M_pict1551_beergarden洋館を利用したレストラ%E


(あがたし注:後日記事を修正して再アップロードをしたらここでとぎれてしまい,後続部分が失われてしまいました.日付も変わってしまっているし.どういうことなんだ>cocolog.日付はもとに戻しますが,とぎれた部分までの内容は記録のため遺しておきます)

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2008.09.24

横浜気象台・イギリス館

M_pict1499_mishirisaka元町商店街東端の元町プラザから急な坂を上がります.「見尻坂」という変わった名前の坂です.右手のフェンスは山手外国人墓地のもの.

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M_pict1504_yokohamakishoudaiwall登り切ると,ズドンという感じで立派な石垣を持つ敷地が見えてきます.横浜気象台です.表札がなんともいい味を出しています.

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M_pict1547_yokohamametstationroof芝生の広場に,気象観測測器が置いてあります(こういう場所を,専門家は露場と呼んでいます).建物の屋上にも何か置いてありますね.この観測地点の観測データは,ほぼリアルタイムでここで見ることができます.

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ここから外国人墓地入口に出たところから左へいくと港の見える丘公園に突き当たります.そこを右折すると見えてくるのが,「横浜市イギリス館」.

M_pict1515_englishkankitchenここで思いがけずうみねこのなく頃にの舞台を発見.1階の「厨房」は明らかに郷田のホームグラウンドであるキッチンですね.

1階のホールはミニコンサート(しょっちゅうやるそうです)のため入れず残念.しかし2階の展示室はなかなか瀟洒でよかったです.展示室のシャンデリアは,おそらく「屋敷」客間のシャンデリアですね.

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2008.09.23

元町商店街

M_pict1491_motomachicrowdrotate_sof横浜市中区・元町商店街へ,妻の希望により赴きました.もちろんあがたし自身の希望も(近くの別の場所に行くという意味で)入っているのですが.

ちょうど全店セール中というわけで,ものすごい人混みでした(人物が特定できないように写真の一部は修正しています).

M_pict1466_gaikoukan_2最寄りは根岸線石川町駅.その駅の大船方から見上げると目にはいるのが,「外交官の家」です.ここはうみねこのなく頃にの舞台の有力候補.

結局この日は,元町ショッピング(まるで興味なかったのだけど,実際行ってみると結構面白かったです)のあと,横浜気象台・外国人墓地・イギリス館・山手111番館・山手聖公会・山手234番館・エリスマン邸・ベーリックホール・山手カトリック教会・外交官の家・ブラフ18番館と,山手の洋館群オールスターをぐるりと巡りました.これらについては,後日.

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2008.09.16

うみねこ洋館探訪候補

昨日書いたように,うみねこのなく頃にの背景画像には,撮影場所がえらくわかりやすいものがあります.

ただし作者側が公式に認めているわけではありませんが,現時点であがたしがつかんでいるところを列挙してみましょう.
・前田侯爵邸洋館→屋敷外部・階段・廊下・夏妃の部屋・肖像画のホール
・旧古河庭園洋館→ゲストハウス外観,バラ庭園の一部
・旧岩崎邸庭園洋館→礼拝堂外観
・ベーリックホール(横浜・山手洋館群)→大広間
・外交官の家またはブラフ18番館→裏お茶会の部屋あるいはベアトvs戦人の部屋
・調布飛行場→空港

行ってみるのが楽しみです

(後日記:裏お茶会の部屋は全然違うところだと判明しました.また,ベアトvs戦人の部屋はブラフ18番館のほうですね.外交官の家は,間違いないと思っていた部屋が実はハズレで,別の部屋が多く使われていました)

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2008.09.14

旧前田侯爵邸洋館

夫婦そろって洋館巡り好き.というわけで目黒区駒場にある「旧前田侯爵邸洋館」へ.

実はうみねこのなく頃にの背景画像に使われている所.同作の背景画像には,一目で撮影場所が分かるところとなかなか分かりづらい(あがたしは洋館専門に背景画像「解読」をしているのだけど,まだ半分以上は場所が未解明)ところがありますが,作中の「屋敷」画像の一部は完璧なる前者です.まさに見た瞬間前田邸だと分かります.

M_20080914_marquismaeda04_facade前面.厳かな雰囲気満点ですね.

M_20080914_marquismaeda06_entrance入口.まさにゲーム中で使用されていたアングルに近いです.壁面はスクラッチタイル.扁平なアーチを多用するチューダー様式です.

M_20080914_marquismaeda05確かこんなアングルもあったはず・・・と思って撮ったのですが,家に帰って調べたらあまり似ていませんでした.


M_20080914_marquismaeda07_hall中に入ると赤絨毯が強烈な印象を与えます.べつに豪華絢爛きらびやかという感じではないのですが,しかしその規模といい,選び抜かれた素材といい,見えないところまで手が込んでいる点といい,真の贅沢という感じがいたします.


M_20080914_marquismaeda09_stairこの屋敷は「加賀百万石」前田家を引き継いだ当主前田利為(としなり)侯爵一家のお屋敷です(外国からの賓客接待用に,和館もあります).こんな階段を毎日上り下りしていたら,庶民とはだいぶ生活感覚が変わってくるというものでしょうか.それにしても明治の華族(の一部)の財力はすさまじいものです.いったい何十人使用人を雇っていたのでしょうか.

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うみねこネタでいうと,1階の小さな部屋で,金色の蝶のオブジェが置いてありました(写真が見づらくてごめんなさい).誰が置いたのかは分かりませんが,「お主,分かってるな!」とツッコミを入れてしまいました.
(うみねこのなく頃にをプレイしていない人には分からないネタで申し訳ありません)

結局,前田侯爵邸洋館からは,ファサード,赤絨毯階段,ベアトリーチェの肖像画部屋(さすがに肖像画はない),赤絨毯廊下(2階),夏妃の部屋の一部,が撮影されていることが分かりました.

今回はよく見なかったのですが,照明の一部も撮影されているかもしれません.いずれにせよまた探訪します.

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2008.09.13

初めてのプラットフォーム

何か鉄道ネタばかり続いていますが・・・

M_ca340162_20080730_shinagawaplatfo品川駅は,東よりに東海道線下りと横須賀線上下があり,西側に東海道線上り・京浜東北線・山手線があるという格好になっています.で,両者の間は結構離れていてそこに臨時ホームが置かれています.

この臨時ホーム,いったい何に使うのだろう?と思っていたら,思わぬ事態であがたし自身がそこを使うことになってしまいました.

事故によるダイヤ乱れで,湘南新宿ラインが品川行きになってしまい,それが臨時ホームの9番線に着いてしまったということなのです.まぁごくたまにはこういうこともあるのでしょう.あがたし個人は急ぎの用事で移動しているわけではなかったのは幸いでしたが,多数の人が迷惑を被っただろうとは思います.

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2008.09.12

大事故の現場を毎日通る件

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西大井を出た湘南新宿ライン南行は途中新幹線と併走しながら,新川崎に着きます.そこからしばらくすると,鶴見川手前で京浜東北線・東海道線に寄り添うようになります.この寄り添い状態は横浜駅まで続きます.

湘南新宿ラインおよび横須賀線が大崎・品川~鶴見間で現在通っているのは品鶴線(ひんかくせん)という路線ですが,ここはかつて貨物線でした.そしてかつて横須賀線は東海道線の線路を使っていました.あまりに列車の混雑が激しいので横須賀線を品鶴線に通すようになった(SM分離の一部)のは1980年です.

さて,鶴見駅と新子安駅の間で,京浜東北線が東海道線をまたぐように交差するところがあるのですが,その南側にて重大な鉄道事故が起こったのは1963年(昭和38年)11月9日夜です.

日本の鉄道史に残る三重衝突事故「鶴見事故」です.

犠牲者161名!当時鶴見に住んでいたという人に話を聞く機会があったのですが,「所用で徹夜していたら一晩中救急車の音が聞こえ何だろうと思っていた」とのことでした.

事故のプロセスや影響は上記Wikipediaや「きはゆに資料室」さんのイラスト解説を参照してください.あがたしはそういったプロセスに対する興味以外に,不運としかいいようのない事故ではあったもののそこから必死に教訓を読み取ろうとし,実際大規模な脱線実験を行った鉄道関係者に対して頭が下がる思いがいたします.

45年前に161名もの犠牲者を出した現場を,今日も何事もなく湘南新宿ラインは通過してゆきます.昨日書いた桜木町事故と同様に,多くの犠牲の上に今日の社会がなりたっているということは,毎日この場を通るたびに強く思わされます.機会があれば慰霊碑(現場付近と,総持寺にそれぞれある)にも行ってみたいと思います.

ところで,鶴見事故と同じように三つの列車がぶつかり合った事故としてもうひとつ有名なのが,1962年の三河島事故(常磐線)なのですが,両者には起こった時刻がほぼ同じである,列車番号に「2000」が含まれる列車が関係している(鶴見事故では「2000S」,三河島事故では「2000H」)という共通点がありますね.まぁ偶然ではありますが.

上記品鶴線では,このあたりでは新幹線と併走する形になります.ここで在来線が脱線して新幹線線路をふさぎ(専門的には「支障する」というらしいです),そこに高速で新幹線がつっこんできたら・・・と思うと心配です.もちろん,杞憂であってほしいものです.

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2008.09.11

都会の廃線と列車火災事故

M_ca340184_20080813_takashimachou京浜東北・根岸線の横浜~桜木町駅間にて,西側を併走する奇妙な高架を見ることができます.東急東横線跡です.廃線跡と言っていいかもしれません.


ところで先日,過去の大きな事故についてついて調べていると書いたけれども,この付近でも歴史に残る大災害が起きています.桜木町事故(1951年(昭和26年)4月24日)です.火災を起こした車内で100人以上の人が蒸し焼きになったという悲惨きわまりない事故でした.

こういった事故のたびに原因究明と被害防止策がとられ,今に至っています.言い換えればいまの交通システムの安全は過去の犠牲のうえに成り立っているというわけでして,あがたしはこの場所を通るたびに心の中でそっと手を合わせています.

ところで,通勤途中ではもう一カ所,過去の大鉄道事故の跡地を通ります.それについては後日.

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2008.09.10

杉田の緑と歴史(熊野神社)

前回記事に続き・・・

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斜面の森のそばまで来ました.なにやら曰くありげな小路です.それにしても深い緑です.

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M_ca340054_20080524_kumanostair2急な石段が出てきました.熊野神社です.膝を痛めないように慎重に登りました.

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M_ca340055_20080524_kumanoshrine
杉田の熊野神社です.詳しい情報が,み熊野ねっと全国熊野神社参詣記にあります(→こちら).祭神は「伊弉冉尊、事解之命、速玉之命、日本武之尊、建御名方命」だそうです.

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急な石段を登った先にあるこの神社は,絶好の展望台でもあります.埋め立てが行われる前には海の絶景が見られたかもしれません.ちなみに写真左上の目立つ建物が京急杉田の駅近くです.


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2008.09.09

杉田の緑と歴史(桐ヶ谷道)

M_ca340048_20080524_sugita先日言及したぷらむろーど杉田商店街は,京急踏切の西側にも延びています.

M_ca340049_20080524_sugita2その西側部分から,今度は北側にはいると,むこうにこんもりとした森.このあたりは急斜面が多く,その一部は未開発となっています.子供達にとっては絶好の遊び場でしょう.


M_ca340050_20080524_kirigayamichiこんな看板がありました.細い道(途中は階段)が台地の上に延びています.どういういわれがあるのでしょうか.家に帰ってネットで調べてもよく分かりませんでした.ちなみに「中原」で「桐ヶ谷」というと東京の人はこちら(中原街道からちょっと入ったところにある)を思い出してしまうと思いますが,まったくの別物です.

続きます.次回はその森の正体へ.

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