4,5,6月と日記を書けるような精神状態ではなかった,というのは半分真実で(今日だって吐き気満点というところを妻の介護でなんとかなっている.妻に大感謝である),実はドラフトは結構書きためていたのですが,「あと一歩」の仕上がりがまだだったので世には出していなかったのであります.変なところで律儀なあがたしは,前の記事が出せるまでは後の記事もださないということを守っていたのですが,
ですが,
が,
そんなこといっていられない事態ですね.
2008年6月14日日本時間午前8時43分,栗駒山東山腹直下にて,M7.2の直下型地震発生.
東京の自宅では震度2~3の揺れが1分ほど続きました.伏せっていたあがたしは「遠くで大きな揺れ.新潟のときとは揺れが違うな.もうすこし遠くかもしれない」と思いました.
薬局のTVでやっと情報.ん,奥羽山脈か.あのあたり火山だぜ.どこか崩れるよこれ・・・と思ったらいきなりヘリ映像.うわ,土砂災害.
報道を見る限り,かなりデジャヴを感じました.そう,1984年の「長野県西部地震」に対してです.
似ている点
・第四紀火山の脆弱な地質の直下で起きた,浅い直下型地震
・火山周辺の典型的な地質が崩れた馬蹄形崩壊
・なんとも分厚く,そして脆弱な火山性地質.それが多数の地点で崩れ,そして今も崩れようとしている.
・おそらくは直前の雨の影響もある.捜索活動は泥とのたたかいだ.
・離れたところの崩壊土砂が谷を流れ下り,谷底にあった温泉宿を壊滅させた
・まったくの余談だが,日付(14日)が同じで,発生時刻もよく似ている(長野08時48分,今回08時43分)
異なる点
・長野の場合は王滝村にて段丘構成物質が崩壊し集落に大きなダメージを与えたが,今回はそういう集落壊滅事例は見られていない.長野のときには「半分ちぎれた住居の写真」が全国に衝撃を与えた(が,当の王滝村以外の人がどれだけ覚えているかは微妙である・・・)
→参考:国土防災技術株式会社WWWより
・長野のは木曽御岳火山の尾根の一つが丸ごと崩壊するというとんでもない事態が起きた(あっというまに長い距離を流れ下り,前述したように温泉宿を一つ壊滅させ,キノコ狩りの人を飲み込み,下流の集落にも被害を及ぼした.ちなみにそれで十名以上が行方不明.死体も見つかっていない).今回は範囲こそ広いが緩傾斜で,まるで教科書に載っているかのような地滑りが起きている.馬蹄形の滑落崖がバッチリだ.が,傾斜が緩いためにその巨大崩壊がすぐにその土砂が下流に突進し始めるということはなかった. (しかし今後の土砂の動きは気になるところだ.とくに荒砥沢ダムへの土砂流入は気をつけてモニタリングしないといけない)
・駒の湯を崩壊させた土砂は,超大型一発の崩壊というよりは,多数の中~大型の崩壊の集合のように空撮からは見える.それでも惨劇であることは確かだが.
長野の事例の場所は,戦後最大の土砂崩壊. 実はあがたしの卒論のフィールドであり,そして博士論文の主要アイデアを得た「約束の土地」である. 当然何度も行った.危険地域にも入った. いくたびにその非現実的な風景に圧倒されてきた.なんと広大な,なんと荒涼とした,そしてなんと哀しい歴史を秘めた眺めなのだろう. (そこには驚くほど美しい湧水がある(→これがほんの一部の写真です).まるで死者を悼む涙のようだ.というわけであがたしは勝手に「涙の滝」と命名している).
それは大部分は「自然のプロセス」なのだ.たしかに人間はそういった自然の猛威に抗して文明社会を作ってきたのだけど,しかしそれはしょせんむなしい戦いなのではないかと思わされることがしばしばあった. そういえば必死になって取り付けた(高価な)センサを,一発の土石流で完膚無きまでに破壊されたことがあったっけ. 荒涼とした河原を,ある時は泣きながら,あるいは無表情に,あるいは薄ら笑いを浮かべながら,そのセンサのせめて破片でもと探し求めて歩いていたたったひとりの男の姿は,端から見ていたら間違いなく狂人のそれと変わりなかっただろう. あがたしがもっとオカルト好きだったら,谷底の土砂の下に今も眠る十数人の魂が,ひさしぶりにおかれた文明の証である機械を呼びよせたのだと信じてしまっていたかもしれない
(ちなみに結局見つかったのは,センサの土台をとめていた土嚢の袋の切れ端だけだった.仲間と力を合わせて土嚢や機材を積み上げたその「基地」が一瞬で消え去ってしまったその気持ち,分かるだろうか?).
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その災害の記録は,王滝村が「まさか王滝に!」という分厚い冊子にまとめて出しています.もしかすると愛知用水のサイトに載っているこの壮絶な写真(昭和59年9月14日の欄をご覧ください)もそこから転載しているか,あるいは同じネガを使っているのかもしれない.これも含めて災害直後の本当に生々しい写真と,迫真の証言が満載の,いろいろな意味で心打たれる本です.
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閑話休題,もっとも,人間だってただ指をくわえて見てきただけじゃない.
1984年の災害後,さっそく各地球科学関係学会が動いた.特集号をだした学会もあった(日本地形学連合など).
詳しいことは今は省くが,はっきり言えるのは,今回の土砂災害は日本人にとって「未曾有の大災害」ではないということだ.ぼくたちは,長野県西部地震,あるいはその前(戦前)に起きたさらに規模の大きな稗田山大崩壊・磐梯山大崩壊に多くのことを学んだ. まなんだ,まなんだ・・・はず,だ. そして,日本のある種の地域は(東北の一部もそうだ),今回のような大規模地滑りでできた地形で満載であることも,実は知っているのだ.
では,僕たちは今回の事例から何を学び取れるのだろう?何を学ばねばならないのだろう? 何を反省し,何を改め,何に向かって顔を上げて歩き始めなければならないのだろう?
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長野県西部地震で40mの土砂の下に埋もれた濁川温泉の人は,その死の直前どんな光景を目にしたのだろうか.ハリウッド特撮映画でも想像できないような,現実離れした眺めだったに違いない. そして今回,崖崩れに飲み込まれた作業員や釣り人の人もそうだ.あわてて家屋から飛び出してトラックに跳ねられた人も,自分の身に起こったことが現実とは信じられなかっただろう.
さらに,駒ノ湯にいた方は,平和なはずの温泉宿の朝,いったいどのような音を聞いたのだろうか.自らの生命を脅かす音を,どのような思いで聞いたのだろうか.
自然の力の犠牲になった方々のご冥福を,心からお祈り申し上げます.
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